子どもたちに音楽の道を与えよう

 テレビ朝日「題名のない音楽会」、山田和樹が、18歳以下の子供たちに「音楽の楽しさ」「共に演奏する喜び」を味わってほしいと、未来オーケストラを結成することとなって、応募した子どもたちのオーデイション風景を取り上げていた。
 山田は、子どもたちが音楽の道を目指すには、出会い・運があることを上げていた。大学にコネがあるから入れてやると言っても、実力がどれだけあるかにかかっている。振り返ると、自分たちが入れてやるからと声楽のレッスンをやらされ、無意味な結果に終わった。その上、おかしな先生まで押し付けられ、大変な思いをした。音楽好きな高校の先生のおかげで助かった。音楽大学の夏季講習会に行けば、希望の大学の先生に着けることもわかった。その時、素晴らしい先生に出会い、今日がある。また、大学でも素晴らしい仲間たちと出会った。ブログ発信も続けて来られたことを思うと、出会い・運の重さがわかる。
 仕事も見つからないままの身分の時、留学先から帰国した大学の先輩に相談、アルバイトをしながら、大学院進学などの資金を貯めたりして、自立できるようになり、ライターの道を進み、雑誌編集者になれた。1991年、黛敏郎 オペラ「金閣寺」日本初演に行き、「三島由紀夫と黛敏郎 金閣寺をめぐって」を雑誌に1年半連載して、多くの人々にオペラ「金閣寺」のことを知らしめることもできた。
 今も、いろいろな出会い・運がある。音楽・芸術系大学の問題も発信中である。東京の上野学園問題には、創業家とは言い難い石橋家の利権漁り体質が、上野学園を蝕んていたことがわかった。ショパンコンクール第3位となった横山幸雄氏を演奏家コース主任教授に迎え、女子のみから男女共学にして、田部京子、矢部達哉、下野達也の各氏といった演奏家たちを教授に迎え、大学もレヴェルアップ、東京芸術大学を蹴ってでも、上野学園に行きたいという人も出た。上野学園が順風満帆に見えた一方、大学の学部多様化が失敗、所蔵していたバッハの自筆譜売却から、石橋家の利権漁り体質が明らかになった。教授となっていた演奏家たちが1人1人と、上野学園を去った。横山氏が石橋家の利権漁りを告発すれば、上野学園を追われることとなった。大学廃学・石橋メモリアルホール売却反対に立ち上がった上尾信也氏の訴訟も傍聴している。上野学園中学校の国際コース設置にも問題があると指摘された。今、上野学園はどうなっているか。
 愛知の名古屋芸術大学問題には、学長選出から生じたセクハラ事件があった。3期務めた竹本義明氏の後任として、竹本氏・音楽領域の教員たちは、客員教授だった作曲家、宮川彬良を次期学長に推薦していた。宮川氏は、学生たちからも慕われていた。学校法人、名古屋自由学院理事会は、アート東京代表理事だった來住尚彦氏を強引に学長に据え、竹本氏を「病気」と称して締め出した。來住氏がテレビマン時代、ジャニーズと癒着していた上、ジャニー喜多川に可愛がられたと豪語して、顰蹙を買った。受験生のためのオープンキャンパスがあった際、音楽領域、ミュージカルコースの学生たちの稽古にやって来て、セクハラ事件を引き起こしていた。セクハラ事件の報告書のいい加減さには驚かされた。2024年6月にオープンキャンパスがあった際、來住氏が食堂で贅沢三昧だったという証言もあった。
 年末年始を騒がせた中居正広のセックス・スキャンダルで、改めて、ジャニーズ問題を思い知る。年末、元ジャニーズ・タレント、長渡康二氏からのメッセージで、事件風化になってはいけないと思い、教職員・学生・保護者・卒業生たちに、団結して立ち上がろう、声を上げようと呼び掛けた。幸い、保護者がワニズアクションに連絡、講演会を開催してもらおうにも、教職員組合が断った。來住氏がジャニーズと癒着した人物だと言うことも知らずというより、忘れているようでは社会性がなさすぎる。ワニズアクションの皆さんに講演会を開いてもらえば、話題作りになったし、メディアも注目したはずである。席上、被害に遭った学生たちへの支援金を集め、手渡すことができた。卒業後も被害学生の救済・支援を続けているはずだった。教職員組合が如何に社会性がないか、情けないかが明らかになった。
 「題名のない音楽会」に戻る。音楽家の道を歩もうとする子どもたちもいる。子どもたちに音楽の道へ進むため、習い事の場を広めたい。ピアノの先生たちが、繁盛する教室作りなどを掲げても、子どもの貧困が深刻化、習い事を諦める子どもたちが急増する今、ピアノのレッスンの月謝すら、6000円も取れないご時世である。それなら、初級で3000円にするなどして、未来の音楽家を育てる取り組みを進める時である。ピアノの先生たちの頭も変わらねばならない。
 「まちの音楽教室」「まちの音楽広場」を掲げ、板橋区再生も兼ねて、「おんがくのてらこや いたばし」プロジェクトを立ち上げ、協同労働組合、ワーカーズコープに提案して、仲間起こしを続けている。こども食堂へのボランティアをしながら、地域社会の実情・社会問題も見るようにしている。できれば、音楽家のワーカーズコープを作って行きたいと願っている。
 山田の言葉を掲げておく。
「未来・希望の象徴は子ども」
子どもこそ、将来の希望である。

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