クラシック音楽の新しい風潮

 テレビ朝日「題名のない音楽会」、ヴァイオリニスト 廣津留すみれ、フルーティスト 多久潤一朗が新時代のクラシック音楽を取り上げた。共演は題名ゾリステン(林周雅・堀内優里・篠原悠那・城元絢花・中恵菜・生野正樹・上村文乃・藤原秀章・大槻健・髙橋洋太・高野麗音・西野晟一朗・日比彩湖)であった。
 まず、A.ヴィヴァルディ「四季」から「冬」第1楽章、マックス・リヒターが再構成した。原曲の味を損ねず、現代的な要素を取り入れた、素晴らしい作品となっていた。
 次は、イアン・クラーク「オレンジ色の夜明け」、アフリカの大自然をフルートで描き出したもの。イギリスの作曲家、クラークはジャズ・ポップスの要素を取り入れた作品を多数発表している。旋律、和声、音色が豊かな作品で、雄大な自然が目に見えるようだった。
 3番目は、アルヴォ・ペルト「Darf ich...」、ドイツ語で「…していいか」と問いかける作品で、東洋の神秘さにも繋がる。エストニアの作曲家、ペルトも注目すべき1人である。バルト3国は激動の世界を生き抜き、完全な独立を勝ち取った後、ヨーロッパでは独自の位置を占める。ロシア、ドイツの影響が強く、翻弄された。バルト・ドイツ人たちの出身地にもなり、ナチズムに協力したドイツ人たちも少なくない。第2次世界大戦後、ドイツ人たちはバルト3国からも追放となった。ペルトの作品には、バルト・ドイツ人の影響があるような作品が少なくないだろう。その意味でも面白く聴いた。
 最後は、ニーノ・ロータ「フルートとハープのためのソナタ」第1楽章。ロータと言えば、映画音楽と言うイメージが強いとはいえ、クラシック音楽の分野では、交響曲・協奏曲・室内楽曲・オペラがある。映画音楽を思わせる面があっても、旋律、和声、音色が透明で、聴き応え十分の内容だった。
 20世紀に入ると、ドビュッシー、ラヴェルの印象主義、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの12音技法が世界を席巻した。新古典主義、偶然性、ミュジック・コンクレート、電子音楽なども広まった。前衛主義も盛んになった。リヒャルト・シュトラウスは、シェーンベルクの才能を評価しても、12音技法には反対だった。旋律、和声あってこそ、音楽は多くの人々に受け入れられる。そう信じていた。
 21世紀に入った今、印象主義音楽、12音音楽が多くの人々の耳にも伝わって来たとはいえ、私たちの耳は全て受け入れているかと言えば、そうとは言い難い。その意味で、旋律、和声の重さが再発見されたと言ってもよい。私たちの耳は、複雑な音楽を完全に受け入れていないことを裏書きしている。
 その意味で、音楽の原点、旋律、和声があってこそ、音楽として耳に受け入れていることを改めて感じた。ニーノ・ロータの言葉である。
「みんなが幸せなひとときを過ごすためにできる限りのことをする。それが私の音楽の核心だ。」
幸せなひと時を過ごすための音楽。それこそ、原点である。

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