子どもの性被害をないがしろにすれば、学生への性被害が広まる 2
こども家庭庁がなぜできたかについて、今一生氏は次のように述べた。
「最も根本的な批判は、そもそも子どもの人権と命を守る責任を一元的に負う役所として、こども家庭庁が作られたのに、その新設の趣旨を担当大臣も官僚も十分に理解していない点です。利権のような従来からの問題以上に、子どもを本気で守るつもりがない官僚と大臣が制度設計や予算づくりに動いているが、そもそもの問題なんですよ。」
この1点だろう。
子どもを本気で守ろうとせず、下らない利権の場にしていること。これが問題である。もっとも、法務省が本腰を入れて、子どもの人権・権利・命を守ることをやろうとしなかった。児童憲章を上げておく。
「われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。
あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。」
児童憲章は日本国憲法の精神に基づいている。こども家庭庁は、日本国憲法の精神に基づいているか。それならば、なぜ、子どもの人権・権利・命を守ることができるか。なぜ、虐待・性被害が増えているか。私たちはしっかり考える必要がある。
今氏が、本気で子どもを守ることができない政治家・官僚が制度設計・予算作りに動いているかに問題があると指摘したことは当然である。統一教会・エホバの証人と言った、間違ったキリスト教信者の2世たちが虐待を受けて来たことに対して、真剣に取り組んでいないようである。ジャニーズ問題で明らかになった性被害に対しても、真摯に取り組んでいるとも思えない。元自民党議員、安藤裕氏がこども家庭庁が利権の巣になったことに対して、厳しく非難したことも肯ける。
若者たちへの奨学金が貸付型で、卒業後も返済に苦しみ、結婚できない・家庭が作れない現実をどう見ているか。こども家庭庁が先頭に立って、文部科学省に奨学金を給付型にして、返済しなくてもよいように申し入れることができるはずである。こども家庭庁もできることがある。なぜ、やろうとしないかが問われる。
子どもの性被害発覚が続いている。それが、女性へのセクハラ・パワハラに繋がる。ヤマハ・カワイの音楽教室の講師がパワハラに遭って、退職しているケースが多い。セクハラの可能性も高い。仮にセクハラがあったら、ヤマハ・カワイはどうするか。音楽教室でも、セクハラが起きている可能性が高い。
大学でもセクハラ・パワハラ事件が次々と発覚するようになった。名古屋芸術大学で起こった、來住尚彦学長のセクハラ事件もそうである。事件に対する名古屋自由学院理事会の対応は、來住氏の事件を揉み消そうとするだけで、あまりにも恥さらしである。來住氏とのビッグビジネスをやろうとして、前学長の竹本義明氏を「病気」と称して追い出し、強引に学長にした挙句、セクハラ事件が発覚、ビッグビジネスは吹っ飛んだ。
理事会・來住氏は逃げ回るばかり、今年6月のオープンキャンパスがあった際、來住氏は姿を見せず、贅沢三昧だった。自分たちが引き起こした事件に無責任で、何一つ言おうとしない。マスコミまで締め出した。
大学学長がセクハラ事件を引き起こしたら、即刻辞任ものである。來住氏は辞任せず、逃げる上、やりたい放題である。性疑惑もあるなら、学長にしてはいけなかった人物である。学長失格と言うべき人物を学長にした、名古屋自由学院理事会のバカさ加減には開いた口が塞がらない。事件の揉み消しなど、恥知らずではないか。
無法理事会は即刻解散して、新しい理事会に変わるべきである。その上で、來住氏には学長を辞任して立ち去ってもらい、新しい学長に宮川彬良氏を迎え、学生・教職員の人権・権利を守り、尊重する大学に生まれ変わる時である。
「最も根本的な批判は、そもそも子どもの人権と命を守る責任を一元的に負う役所として、こども家庭庁が作られたのに、その新設の趣旨を担当大臣も官僚も十分に理解していない点です。利権のような従来からの問題以上に、子どもを本気で守るつもりがない官僚と大臣が制度設計や予算づくりに動いているが、そもそもの問題なんですよ。」
この1点だろう。
子どもを本気で守ろうとせず、下らない利権の場にしていること。これが問題である。もっとも、法務省が本腰を入れて、子どもの人権・権利・命を守ることをやろうとしなかった。児童憲章を上げておく。
「われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。
あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。」
児童憲章は日本国憲法の精神に基づいている。こども家庭庁は、日本国憲法の精神に基づいているか。それならば、なぜ、子どもの人権・権利・命を守ることができるか。なぜ、虐待・性被害が増えているか。私たちはしっかり考える必要がある。
今氏が、本気で子どもを守ることができない政治家・官僚が制度設計・予算作りに動いているかに問題があると指摘したことは当然である。統一教会・エホバの証人と言った、間違ったキリスト教信者の2世たちが虐待を受けて来たことに対して、真剣に取り組んでいないようである。ジャニーズ問題で明らかになった性被害に対しても、真摯に取り組んでいるとも思えない。元自民党議員、安藤裕氏がこども家庭庁が利権の巣になったことに対して、厳しく非難したことも肯ける。
若者たちへの奨学金が貸付型で、卒業後も返済に苦しみ、結婚できない・家庭が作れない現実をどう見ているか。こども家庭庁が先頭に立って、文部科学省に奨学金を給付型にして、返済しなくてもよいように申し入れることができるはずである。こども家庭庁もできることがある。なぜ、やろうとしないかが問われる。
子どもの性被害発覚が続いている。それが、女性へのセクハラ・パワハラに繋がる。ヤマハ・カワイの音楽教室の講師がパワハラに遭って、退職しているケースが多い。セクハラの可能性も高い。仮にセクハラがあったら、ヤマハ・カワイはどうするか。音楽教室でも、セクハラが起きている可能性が高い。
大学でもセクハラ・パワハラ事件が次々と発覚するようになった。名古屋芸術大学で起こった、來住尚彦学長のセクハラ事件もそうである。事件に対する名古屋自由学院理事会の対応は、來住氏の事件を揉み消そうとするだけで、あまりにも恥さらしである。來住氏とのビッグビジネスをやろうとして、前学長の竹本義明氏を「病気」と称して追い出し、強引に学長にした挙句、セクハラ事件が発覚、ビッグビジネスは吹っ飛んだ。
理事会・來住氏は逃げ回るばかり、今年6月のオープンキャンパスがあった際、來住氏は姿を見せず、贅沢三昧だった。自分たちが引き起こした事件に無責任で、何一つ言おうとしない。マスコミまで締め出した。
大学学長がセクハラ事件を引き起こしたら、即刻辞任ものである。來住氏は辞任せず、逃げる上、やりたい放題である。性疑惑もあるなら、学長にしてはいけなかった人物である。学長失格と言うべき人物を学長にした、名古屋自由学院理事会のバカさ加減には開いた口が塞がらない。事件の揉み消しなど、恥知らずではないか。
無法理事会は即刻解散して、新しい理事会に変わるべきである。その上で、來住氏には学長を辞任して立ち去ってもらい、新しい学長に宮川彬良氏を迎え、学生・教職員の人権・権利を守り、尊重する大学に生まれ変わる時である。
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