子どもと親との関係から、名古屋芸術大学、來住尚彦学長のセクハラ事件を斬る
昨日、紹介したTBS「報道特集」、「“#連れ去り”などで関係絶たれ」に関するフリーライター、今一生氏の投稿を引用した上で、名古屋芸術大学、來住尚彦学長のセクハラ事件を考えてみよう。
「『親子断絶は児童虐待』なんて、親からの一方的な決めつけ。虐待かどうかは、子どもに判断する権利があるの。そもそも、虐待は『親権の濫用』があったかどうかが家庭裁判所でも判断基準。
自分の親を毒親かどうか判断するする際、その判断の主体としての権利を持ってるのは、世間でも専門家でもなく、子ども自身。これを理解できず、
『どこからが虐待ですか?』
という問いに悩む人もいるが、親との関係が苦しいと思っているなら、その程度は子ども自身の心身に現れ、遅かれ早かれ自覚できる。」
その上で、昨日のTBS「報道特集」をYou Tubeで見る。子どもの立場から考えると、連れ去りと言えるか。今氏は、次のように指摘する。
「親子の断絶を望む子どももいるのに、
『子どもは親と暮らしたいはず』
という前提を疑わないひとりよがりな人もいる。この番組では、成人した子ども側が言った
『別居父と会いたくない』
という回答がすべて。
TBSの番組で東京国際大学の小田切紀子教授が
『臨床心理士などの専門家の力を借りよう』
とコメント。でも、『子ども目線』で考えるなら、子どもを親権者の奴隷にしてる民法を改正しない限り、子どもには有害な親権者を拒否する権利もない。心が落ち着いても、基本的人権を奪われたままでは苦しいだけ。
日本の子どもは、法律上は親権者の奴隷、意見の一致のために歩み寄らない両親なら、親権者は1人の方がマシ。なんなら、産み育て以外の大人を親権者に指名・選択できる法的権利がある方がいい。子どもに権利を保障せず、子どもの声を聞かないまま、親の支配欲だけで親権を語れば、子どもは永遠に奴隷なの。
子どもの頃に親からの支配を愛情だと勘違いさせられてきた人は、それに気づかない場合、自分が親になった後で子どもを自分の思い通りに支配したがるようになりかねない。わが子を見る時、
『この子が他の家の子なら、自分はこれまでと同じようなふるまいをするか?』
と自問してみて。多くの発見があるよ。
大人でも親が嫌いな人がいるように、子どもにも親が嫌いな人は珍しくない。問題なのは、親が勝手に
『子どもは私に愛されたいはずだ』
と思い込み、子どもの気持ちを勝手に決めたがり、否定的な感情を許さないこと。親がいないと生きられないように子どもの感情を導くのは『育てる』とは逆で、単なる支配。
親権を『子どもに会える権利』とか『子どもと一緒に住める権利』という主張は、単なる親のエゴ。子の福祉のために『養育の法的責任』を負うのが民法上の親権なので、親権を親の権利だと誤解してる人は、子どもが親権者を選べる権利がないのを利用し、子どもを所有物のように一方的に支配したいだけ。」
報道特集の中で、夫がウソをついていたことを知った妻が、子どもと共に家を出たことについて、子どもたちには済まないと言う思いだったかもしれない。子どもたちと共に家を出た時、相当な覚悟だったに違いない。
今氏は次のように続ける。
「親になるとは、子どもにとって権力者になること、子どもには何の基本的人権も法的に保証されず、親権者の奴隷にされてるから、そのアンフェアな関係でも、親は独善的に
『俺は愛してる』
と言えてしまう。そんな関係に居直る親は、やがて、子どもに介護放棄される。それしか報復の手段がない子どももいるのだ。
子どもに対して権力的にふるまう親は、自分が子どもより強い立場にいる意味を考えないのだ。だから、そんな親は高齢化し、弱者になる頃に、自分がどれだけ子どもに対して傲慢にふるまってきたかを思い知る。誰もが弱者になると知っているなら、幼さや若さを下に見ていた自分への報復を覚悟した方がいい。」
最後の文章を読むと、來住氏が引き起こしたセクハラ事件を揉み消そうとする名古屋自由学院理事会の卑劣さが浮かび上がってくる。わが子に会いたいと言う父親の姿を見ると、なぜ、母親が子どもと共に出て行ったかを考えたことがあるかと問いたくなる。セクハラ事件揉み消しそっくりではないか。
名古屋芸術大学のオープンキャンパスがあった際、來住氏が学長として姿を見せず、食堂で贅沢三昧だった。事件の責任も取らず逃げ回っては、やりたい放題とは呆れた。学生たちから、
「終わったホスト」
とあだ名され、バカにされる学長はおしまいである。
昨年のオープンキャンパスでのセクハラ事件、大学での講義中のセクハラは事実である。オープンキャンパスの事件を告発した、被害者の学生たちに対する名古屋自由学院理事会の姿勢は、学生への虐待である。ビッグビジネスはセクハラ事件で潰れた。平気で学生の人権侵害をしながら、責任を取らない理事会は、全部辞任した上で、理事長・理事総入れ替えしかない。
來住氏には、テレビマン時代、ジャニーズ事務所・ジャニー喜多川との癒着は無論のこと、性疑惑が出て来る可能性がある。反社会的人物だったことが明らかになった今、即刻、名古屋芸術大学学長を辞任していただきたい。そんな人物は大学学長に相応しくない。一刻も早く、立ち去るべきである。
「『親子断絶は児童虐待』なんて、親からの一方的な決めつけ。虐待かどうかは、子どもに判断する権利があるの。そもそも、虐待は『親権の濫用』があったかどうかが家庭裁判所でも判断基準。
自分の親を毒親かどうか判断するする際、その判断の主体としての権利を持ってるのは、世間でも専門家でもなく、子ども自身。これを理解できず、
『どこからが虐待ですか?』
という問いに悩む人もいるが、親との関係が苦しいと思っているなら、その程度は子ども自身の心身に現れ、遅かれ早かれ自覚できる。」
その上で、昨日のTBS「報道特集」をYou Tubeで見る。子どもの立場から考えると、連れ去りと言えるか。今氏は、次のように指摘する。
「親子の断絶を望む子どももいるのに、
『子どもは親と暮らしたいはず』
という前提を疑わないひとりよがりな人もいる。この番組では、成人した子ども側が言った
『別居父と会いたくない』
という回答がすべて。
TBSの番組で東京国際大学の小田切紀子教授が
『臨床心理士などの専門家の力を借りよう』
とコメント。でも、『子ども目線』で考えるなら、子どもを親権者の奴隷にしてる民法を改正しない限り、子どもには有害な親権者を拒否する権利もない。心が落ち着いても、基本的人権を奪われたままでは苦しいだけ。
日本の子どもは、法律上は親権者の奴隷、意見の一致のために歩み寄らない両親なら、親権者は1人の方がマシ。なんなら、産み育て以外の大人を親権者に指名・選択できる法的権利がある方がいい。子どもに権利を保障せず、子どもの声を聞かないまま、親の支配欲だけで親権を語れば、子どもは永遠に奴隷なの。
子どもの頃に親からの支配を愛情だと勘違いさせられてきた人は、それに気づかない場合、自分が親になった後で子どもを自分の思い通りに支配したがるようになりかねない。わが子を見る時、
『この子が他の家の子なら、自分はこれまでと同じようなふるまいをするか?』
と自問してみて。多くの発見があるよ。
大人でも親が嫌いな人がいるように、子どもにも親が嫌いな人は珍しくない。問題なのは、親が勝手に
『子どもは私に愛されたいはずだ』
と思い込み、子どもの気持ちを勝手に決めたがり、否定的な感情を許さないこと。親がいないと生きられないように子どもの感情を導くのは『育てる』とは逆で、単なる支配。
親権を『子どもに会える権利』とか『子どもと一緒に住める権利』という主張は、単なる親のエゴ。子の福祉のために『養育の法的責任』を負うのが民法上の親権なので、親権を親の権利だと誤解してる人は、子どもが親権者を選べる権利がないのを利用し、子どもを所有物のように一方的に支配したいだけ。」
報道特集の中で、夫がウソをついていたことを知った妻が、子どもと共に家を出たことについて、子どもたちには済まないと言う思いだったかもしれない。子どもたちと共に家を出た時、相当な覚悟だったに違いない。
今氏は次のように続ける。
「親になるとは、子どもにとって権力者になること、子どもには何の基本的人権も法的に保証されず、親権者の奴隷にされてるから、そのアンフェアな関係でも、親は独善的に
『俺は愛してる』
と言えてしまう。そんな関係に居直る親は、やがて、子どもに介護放棄される。それしか報復の手段がない子どももいるのだ。
子どもに対して権力的にふるまう親は、自分が子どもより強い立場にいる意味を考えないのだ。だから、そんな親は高齢化し、弱者になる頃に、自分がどれだけ子どもに対して傲慢にふるまってきたかを思い知る。誰もが弱者になると知っているなら、幼さや若さを下に見ていた自分への報復を覚悟した方がいい。」
最後の文章を読むと、來住氏が引き起こしたセクハラ事件を揉み消そうとする名古屋自由学院理事会の卑劣さが浮かび上がってくる。わが子に会いたいと言う父親の姿を見ると、なぜ、母親が子どもと共に出て行ったかを考えたことがあるかと問いたくなる。セクハラ事件揉み消しそっくりではないか。
名古屋芸術大学のオープンキャンパスがあった際、來住氏が学長として姿を見せず、食堂で贅沢三昧だった。事件の責任も取らず逃げ回っては、やりたい放題とは呆れた。学生たちから、
「終わったホスト」
とあだ名され、バカにされる学長はおしまいである。
昨年のオープンキャンパスでのセクハラ事件、大学での講義中のセクハラは事実である。オープンキャンパスの事件を告発した、被害者の学生たちに対する名古屋自由学院理事会の姿勢は、学生への虐待である。ビッグビジネスはセクハラ事件で潰れた。平気で学生の人権侵害をしながら、責任を取らない理事会は、全部辞任した上で、理事長・理事総入れ替えしかない。
來住氏には、テレビマン時代、ジャニーズ事務所・ジャニー喜多川との癒着は無論のこと、性疑惑が出て来る可能性がある。反社会的人物だったことが明らかになった今、即刻、名古屋芸術大学学長を辞任していただきたい。そんな人物は大学学長に相応しくない。一刻も早く、立ち去るべきである。
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