春と音楽

 テレビ朝日「題名のない音楽会」、春から連想する音楽会と題して、クラシック・ギターの村治佳織、フルートのCocomi、チェロの上村文乃、林周雅ストリングスにより、演奏家たちが春から連想する言葉にちなんだ曲を取り上げた。
 まず、村治、Cocomi、上村が、久石譲「もののけ姫」より「アシタカとサン」を演奏した。春はそよ風である。全てのものが甦る。十字架にかかったイエス・キリストが3日後に復活したことを祝うイースターにも、春の訪れを告げる面がある。5月はすべてが息づいていく。春の息吹を伝える、暖かみに溢れたものだった。
 旅を連想したCocomiによる、ミシェル・ルグラン「ロシュフォールの恋人たち」から「キャラバンの到着」には、旅への憧れ、エキゾティックさがにじみ出ていた。わくわく感を連想した村治は、ポール・ウィリアムス「ハッピー」を取り上げた。ギターが紡ぎ出す華麗さが、わくわくした気分を見事にとらえていた。
 最後は、上村がクラシックの原点に戻り、ガッロ「12のトリオ・ソナタ」第1番から第1楽章を取り上げた。これは、ストラヴィンスキーが新古典主義によるバレエ「プルチネッラ」で取り上げた。第1次世界大戦後、フランスを中心に、19世紀ロマン主義音楽への反動として起こり、組曲ではラモー、交響曲ではハイドンを模範とし、わかりやすい、明晰な音楽を目指した。この時期のフランス6人組、ルイ・デュレ、アルテュール・オネゲル、ダリウス・ミヨー、ジェルメーヌ・タイユフール、フランシス・プーランク、ジョルジュ・オーリックが明晰さ、わかりやすさを追求していった。
 その意味でも選曲がよかったし、演奏も見事だった。第1次世界大戦が終わり、つかの間の平和を取り戻したヨーロッパが、新しい音楽を生み出す原動力としての春だっただろう。1920年代のヨーロッパでは、新しい音楽を生み出そうとする機運が高まりつつあった。1929年、アメリカで起こった世界大恐慌が全てを破壊し、ムッソリーニのファシスト党、ヒトラーのナチス党が台頭した。ユダヤ人排斥を掲げたナチスを逃れ、多くの音楽家たちがアメリカなどへ亡命した。第1次世界大戦から第2次世界大戦が始まるまでの両大戦間、新しい音楽への創作意欲も高まった。その意味で、新古典主義は重要である。
 ライナー・マリア・リルケの言葉を引用する。
「春がまた来た 大地は詩をおぼえた子供のようだ」
生命の息吹が甦る春。リルケは大地を子どもに例え、新しいものを生み出す原動力としての春を見ている。

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