上野学園大学問題でわかった日本の音楽大学の問題

 上野学園大学問題では、創業家、石橋家による酷い私物化の実態が浮かび上がった。日本の音楽大学を見ると、国立は東京芸術大学、東京学芸大学をはじめとする教育系大学の音楽科、音楽課程、国立大学の教育学部の音楽課程、公立では京都市立芸術大学、愛知県立芸術大学、沖縄県立芸術大学、多数の私立音楽大学、総合大学の音楽科、音楽学部となっている。
 私立音楽大学の場合、首都圏に15校、京阪神に6校、名古屋市に2校となっている。首都圏の場合、私立音楽大学が過密状態である。政治・経済・社会の中心となる首都圏の場合、致し方ない。私立御三家と言われる国立音楽大学・武蔵野音楽大学・桐朋学園大学、東京音楽大学、東邦音楽大学、洗足学園音楽大学、上野学園大学、昭和音楽大学、尚美学園大学、聖徳大学、フェリス女学院大学、日本大学芸術学部、玉川大学、桜美林大学、東海大学である。
 首都圏では、御三家の存在感が大きい。新しい所では聖徳大学、昭和音楽大学、尚美学園大学があり、東京音楽大学、東邦音楽大学、洗足学園音楽大学、上野学園大学と続く。1960年代ー70年代の経済高度成長期、御三家以外はレヴェルが一段低い状況が続いた。1980年代になると、大学としてレヴェルアップを図り、著名な演奏家を教員に迎え、看板教授とした。21世紀になると、ソリストコースを置いたりして、演奏家を目指す人材を育成するなどして、大学としてのレヴェルアップを進めて来た。
 御三家、国立音楽大学・武蔵野音楽大学・桐朋学園大学でも学部・学科の改変、カリキュラム見直しなどによって、大学の質の改善にも取り組んできた。御三家も時代に見合った学部・学科の改変、カリキュラム見直しで質の改善を進めて来た。名門大学といえど、時代に即応せざるを得なくなったからである。
 武蔵野音楽大学では、1979年には音楽学学科・作曲学科の教員たちが教職員組合を結成して、大学の経営近代化へと乗り出した。東京芸術大学の事件が発覚した際、武蔵野音楽大学に飛び火したこともある。東邦音楽大学では、不透明な経営実態が明らかになった。首都圏の音楽大学でも経営近代化問題が出たり、不透明な経営実態が明らかになった。上野学園大学の場合、創業家、石橋家の大学私物化の酷さが明らかになった。自分たちの利益追求を推し進め、学校経営を破綻に導き、大学の魂と言うべき音楽ホールまで平気で売却する。音楽大学としての存在感を否定しただけではないか。
 音楽大学も少子化、子どもの貧困問題のあおりを受け、音楽の道を目指す若者たちが減りつつある。年末のベート―ヴェン、交響曲第9番の演奏会には、合唱には大学を上げて出演していた。今はそれもなくなった。日本の経済・社会が貧困化しつつある今、文化も貧しくなっている。文化を育てる音楽大学の在り方にも一つの転換期が来たことを象徴している。上野学園大学問題は、転換期を象徴する事件として記憶すべき一つだろう。
 

この記事へのコメント

香川美穂子
2023年05月05日 14:31
大学法人として如何に多すぎる大学(文科省の責任)の中で生き残るかを
考えた場合、色々転換を試行錯誤するのは戦略として当然だが、こと上野学園はあくまで私立大学法人としての理念を創業家(本当のでは無い!)が家族として次世代に家庭教育をしてこなかった事が今回の馬鹿げた結末の原因である。「親は苦労し、子は楽をし、孫は河原で乞食する」と古来よりいわれている。