もう一度、「ベートーヴェン 歪められた真実の姿」を見る
2022年も今日一日、30日、NHK総合テレビでもBSプレミアムで放送した「ベートーヴェン 歪められた真実の姿」を見ながら、ベートーヴェンの実像を改めて考えた。東西冷戦期のドイツでのベートーヴェン像を比較すると、東ドイツの場合、社会主義体制におけるベートーヴェンの姿が革命の英雄、市民のための音楽を創作したベートーヴェンを打ち出したかった。これは、兼常清佐にも通ずる面もある。兼常は、昭和初期、音楽の「階級制」問題を提起した。一方、兼常は、ベートーヴェンの音楽を真に理解するにはどうあるべきかにも向き合っていた。園部三郎も「階級制」に向き合った。昭和初期、社会主義リアリズムが広まると、守田正義、吉田隆子、山本直忠も階級制からベートーヴェンを捉えた。
日本での社会主義運動、プロレタリア運動におけるベートーヴェン受容は、アントン・フェリックス・シンドラー、ロマン・ロランの「英雄神話」を突き崩すきっかけにもなった。東ドイツでの社会主義体制のベートーヴェン受容が、1977年、ベートーヴェン没後150年記念として行われた国際ベートーヴェン会議で、ベートーヴェンの会話帳におけるシンドラーの改竄を明らかにしたこと、ペーター・ギュルケを中心としたベートーヴェンの交響曲における新原典版編纂になったことは皮肉だろうか。
カラヤンによるベートーヴェン交響曲全集は日本でのライヴ2点、1960年代の全集、1970年代の全集、1980年代の全集がCDとなっている。私は、1960年代、1980年代の全集を採る。この2点の方が音楽として聴きどころがある。1960年代の全集は、1970年のベートーヴェン生誕200年を意識したせいか、わざとらしさもない。1980年代の全集は、1981年のザビーネ・マイヤー事件以来、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との関係に溝ができていたとはいえ、一種の緊張感・到達感がある。日本でのライヴも注目したい。単なる「かっこよさ」ではないものがあるだろう。
ボン、ベートーヴェン・アルヒーフによる新ベートーヴェン全集も進んできた。今でも、日本人研究員として25年もドイツに住み、ベートーヴェン研究の先端に立った児島新先生のことを忘れてはいけない。私が初めてお目にかかった時が、武蔵野音楽大学入学試験の時だった。音楽学学科受験の際、受験した外国語科目、小論文などに基づく口頭試問があり、ドイツ語で受験したため、誤訳があったと指摘され、ヒヤリとした。結果は合格、大学4年の時、1983年、サントリー美術館でのベートーヴェン展準備のため、渡欧した先で肝炎を発病、緊急帰国となり、53歳で亡くなられた。ローマ・カトリックの信者で、洗礼名はアウグスティヌスである。児島氏の遺稿を集めた「ベートーヴェン研究」は、今でも多くの人々に読み継がれている。児島氏の後を平野昭、大崎滋生の両氏をはじめ、土田英三郎氏が受け継いでいる。
今、日本人とベートーヴェンについて取り組む中、日本人として初めて本格的にベートーヴェンに取り組み、留学先で自殺した久野久子をはじめ、ベートーヴェン演奏家としてのレオニード・クロイツァーの研究を進めて来た。レオ・シロタが当時のNHK大阪放送局で行ったベートーヴェン、ピアノソナタ全曲演奏シリーズも、日本のベートーヴェン受容史としても重要で、クロイツァーと共に日本のピアノ界を育てて来たシロタの功績として、再評価すべきではなかろうか。
日本での社会主義運動、プロレタリア運動におけるベートーヴェン受容は、アントン・フェリックス・シンドラー、ロマン・ロランの「英雄神話」を突き崩すきっかけにもなった。東ドイツでの社会主義体制のベートーヴェン受容が、1977年、ベートーヴェン没後150年記念として行われた国際ベートーヴェン会議で、ベートーヴェンの会話帳におけるシンドラーの改竄を明らかにしたこと、ペーター・ギュルケを中心としたベートーヴェンの交響曲における新原典版編纂になったことは皮肉だろうか。
カラヤンによるベートーヴェン交響曲全集は日本でのライヴ2点、1960年代の全集、1970年代の全集、1980年代の全集がCDとなっている。私は、1960年代、1980年代の全集を採る。この2点の方が音楽として聴きどころがある。1960年代の全集は、1970年のベートーヴェン生誕200年を意識したせいか、わざとらしさもない。1980年代の全集は、1981年のザビーネ・マイヤー事件以来、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との関係に溝ができていたとはいえ、一種の緊張感・到達感がある。日本でのライヴも注目したい。単なる「かっこよさ」ではないものがあるだろう。
ボン、ベートーヴェン・アルヒーフによる新ベートーヴェン全集も進んできた。今でも、日本人研究員として25年もドイツに住み、ベートーヴェン研究の先端に立った児島新先生のことを忘れてはいけない。私が初めてお目にかかった時が、武蔵野音楽大学入学試験の時だった。音楽学学科受験の際、受験した外国語科目、小論文などに基づく口頭試問があり、ドイツ語で受験したため、誤訳があったと指摘され、ヒヤリとした。結果は合格、大学4年の時、1983年、サントリー美術館でのベートーヴェン展準備のため、渡欧した先で肝炎を発病、緊急帰国となり、53歳で亡くなられた。ローマ・カトリックの信者で、洗礼名はアウグスティヌスである。児島氏の遺稿を集めた「ベートーヴェン研究」は、今でも多くの人々に読み継がれている。児島氏の後を平野昭、大崎滋生の両氏をはじめ、土田英三郎氏が受け継いでいる。
今、日本人とベートーヴェンについて取り組む中、日本人として初めて本格的にベートーヴェンに取り組み、留学先で自殺した久野久子をはじめ、ベートーヴェン演奏家としてのレオニード・クロイツァーの研究を進めて来た。レオ・シロタが当時のNHK大阪放送局で行ったベートーヴェン、ピアノソナタ全曲演奏シリーズも、日本のベートーヴェン受容史としても重要で、クロイツァーと共に日本のピアノ界を育てて来たシロタの功績として、再評価すべきではなかろうか。
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