ベート―ヴェン、ミサ・ソレムニスを聴きながら思ったこと

 ベートーヴェンの傑作のひとつでありながら、演奏の機会がないミサ・ソレムニス、Op.123。NHK「音楽の泉」でベネディクトゥスをレナード・バーンスタイン、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ソプラノ エッダ・モーザー、アルト ハンナ・シュヴァルツ、テノール ルネ・コロ、バス クルト・モル、ヒルヴァーサム・オランダ放送合唱団、ヴァイオリン・ソロ ヘルマン・クレッバース、オルガン ベルンハルト・バーテリンクで取り上げた。
 この部分は、最も高貴な音楽と評され、ヴァイオリン・ソロが流れる中、キリスト降誕を告げるかのような、素晴らしい部分である。ベートーヴェンは、この作品を作曲中、41歳で亡くなったヨゼフィーネ・フォン・シュタッケルベルク男爵夫人への追悼に捧げたようにも思える。ベートーヴェンは、ヨゼフィーネがブルンスヴィック伯爵家の令嬢の頃、自分の許に弟子入りした頃から心を惹かれていた。しかし、貴族社会ゆえか、ヨゼフィーネはヨーゼフ・フォン・ダイム伯爵と結婚、4人の子どもが生まれたものの、ダイム伯爵に先立たれてしまう。その間、ベートーヴェンとの間に恋愛関係が生じ、恋文も残った。周囲の目が光っていたせいか、ベートーヴェンは、ヨゼフィーネに献呈しようとした作品があっても、できなかった。ピアノソナタ、Op.79もヨゼフィーネに献呈しようとしていた。
 ヨゼフィーネはバルト・ドイツ人貴族、クリストフ・フォン・シュタッケルベルク男爵と再婚、こちらも3人の子どもが生まれた。3人目の子、ミノナはベートーヴェンとの間に生まれたことがわかった。シュタッケルベルク男爵は、当初、ダイム伯爵との間に生まれた子どもたちの教育係としてヨゼフィーネの前に現れ、結婚となった。ジャン・ジャック・ルソーの思想に惹かれ、農場を買い入れたとはいえ、他人の土地を買わされるという詐欺に陥った。そのため、シュタッケルベルク男爵が姿をくらますこととなり、ベートーヴェンにすがることとなった。ベートーヴェンとの間に子を宿し、出産した。ベートーヴェンは、ヨゼフィーネを金銭面などで支え続けた。不幸な結婚に泣いたヨゼフィーネは、精神面でも異常を来たし、早世した。
 ベートーヴェンは、ベネディクトゥスの美しいヴァイオリン・ソロをヨゼフィーネに捧げたとみてよいだろう。表立って作品を献呈できなかった代わりに、ヨゼフィーネが天国で平安に過ごしてほしいと願ったに違いない。全曲をカール・ベームで聴き直しても、ベネディクトゥスでは、山岳事故で亡くなったゲルハルト・ヘッツェルのソロも絶品、歌手陣も揃っていた。
 アントン・シンドラーが、この時期のベートーヴェンの会話帳から、ヨゼフィーネに関する部分を削除、あるいは破棄した可能性が指摘されたことを合わせると、ベートーヴェンの名誉を守ろうとしたこと面があったにせよ、許されるだろうか。ベートーヴェンからピアノソナタ、Op.57「熱情」を献呈され、人間同士の付き合いを重ねたフランツ・フォン・ブルンスヴィック伯爵がヨゼフィーネの名を伯爵家名簿から抹消したことも併せて考えると、悲劇的な最期だったからではなかろうか。

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